高尾山古墳についての考察


タカオさんとジッキー君
タカオさんとジッキー君

☆ 道路と古墳を両立させる条件について

☆ 道路と古墳を両立させる試案

☆ 道路と古墳が両立した完成イメージ

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☆ 西熊堂交差点の閉鎖反対!

☆ 高尾山古墳と富士山と天城山

☆ 高尾山古墳と天城山と香貫山

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高尾山古墳実測図

■ 高尾山古墳とは

高尾山古墳(たかおさんこふん)は、静岡県沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)にある、
古墳時代最初期、邪馬台国の卑弥呼が活躍していた西暦230年頃の築造と推定され、
築造当時の東日本では最大級の前方後方墳である。

古くから古墳であると伝えられてきたこの場所には、
室町時代の文献に熊野堂という名で記録される熊野神社と、
明治の神社統合によって熊野神社後方に移築された高尾山穂見神社が鎮座していたが、

平成17(2005)年に始まった都市計画道路建設に伴う試掘調査で、古墳であることが確認され、
平成19(2007)年の2次調査で、前方後方墳と判明し、また、3世紀の土器の出土を確認したため、
静岡県内最古級の重要な古墳として、本調査をすることになった。

平成20・21(2008-9)年に行われた本調査では、
周溝の底から西暦230年頃のものとされる「大廓(おおくるわ)1式」「2式」土器の出土と、
被葬者の副葬品として、墓坑(ぼこう)から出土した鉄製のやじり・鉄鏃(てつぞく)に、
矢が抜けないよう「逆刺(かえ)り」が細工されている
西暦250年頃のものとされる鉄鏃が含まれており、
当初は、西暦230年頃の集落の跡地に、西暦250年頃に古墳が作られたと推測された。が、

平成26(2014)年に追加試掘で行われた、墳丘の断ち割り調査で、
西暦200〜230年ごろの土器とされ濃尾平野で多数出土する「廻間(はさま)2式前半」、
同時代の土器とされ駿河東部で多数出土する「大廓(おおくるわ)1式」「2式」が,
墳丘内部から出土する一方、
それ以降の形式の「廻間2式後半」「大廓3式」の土器は、
墳丘内部から出土しなかったため、
西暦230年頃に築造され、西暦250年頃に埋葬されたと、推定されるようになった。




主要参考文献

高尾山古墳発掘調査報告書
沼津市の高尾山古墳と道路を両立させる検討案

グーグルマップ
沼津市のウエブサイト
国土交通省の道路構造令解説
カシミール3D

高尾山古墳を取り壊さないで!
高尾山古墳を壊さないで!古墳の現状保存と道路の両立を!
「ぶっちゃけ古事記」  → 高尾山古墳カテゴリーリンク
「paipudesのブログ」  → 高尾山古墳カテゴリーリンク
「肖蟲軒雑記」 → 高尾山古墳関連リンク
「静岡大好き。しずふぁん!!」 → 日本の古代史が変わるかも?「高尾山古墳」
「沼津市議会議員山下ふみこ」 → 高尾山古墳カテゴリーリンク